恣意/恣意的(その2)

「恣意/恣意的」という言葉の私の使い方は間違っていたようだ、と書いた件(6/21)について、蔓葉さんより

そもそも引用されているgooの説明から、「ある特定の結論を導き出すための解釈」と使うことが間違っていると一概にはいえないように思うのです。

というご意見をいただきました。(→http://www.alles.or.jp/~tsuruba/#0624
とりあえず私が書いた文章を以下にそのまま引用します。(元発言はこちら→http://d.hatena.ne.jp/helioterrorism/20030621#p1

恣意/恣意的
という言葉の私の使い方は、どうも間違っていたようだと今日知った。

しい 1 【▼恣意/▼肆意】
(1)その時々の気ままな思いつき。自分勝手な考え。
「会長の―によって方針が左右される」
(2)物事の関係が偶然的であること。
「言語の―性」

しいてき 0 【▼恣意的】
(形動)
その時々の思いつきで物事を判断するさま。
「―な解釈」

私が使っていたのは「わざと」というような意味で、例えば「恣意的な解釈」というのは、「ある特定の結論を導き出すための解釈」というような意味で使っていたんだけど、上記によると全然違いますね……。

安直にGoogleで「恣意」を検索してみたら、以下のページを見つけました。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/kotoba/Shiiteki.html
こちらで引用されている発言が、私が言いたかったこととほぼ同じです。「ある特定の結論を導き出すための解釈」という表現では、言葉足らずというか、微妙に意味あいが違っていますね。
以下、孫引用です。

実は私は恥ずかしながら、「恣意的」と云う言葉を20年以上の間「(物事を、)自分(や自分の論理・主張)に都合のいいように(解釈する)」というような意味に理解していました。例えば「生物学者は、事実を恣意的に解釈する傾向があるように思われる」など…

でも、実際には「その場限りの、気ままな」という意味だと知らされ、大変恥ずかしい思いを致しました。