渡辺淳一『愛の流刑地』ダイジェスト

日経新聞で(ある意味)好評連載中、(ある意味)話題沸騰の渡辺淳一愛の流刑地』の要約とそれに対するつっこみ。素晴らしいです。感動しました。

 中瀬はすぐ手を出す癖がないと、そのうちやらなくても平気になってしまう「やらな癖」がつくと言います。それを聞いた菊治、

「やらな癖か…」
 菊治はつぶやきながら、そんな癖だけは、絶対につけたくないと思う。

 そんな癖、菊治につこうがどうしようが知ったことではありませんが、とりあえずコンドームはきちんとつけたほうがいいと思います。

まったくです。それにしても、「やらな癖」という言葉の「そのまんま感」は衝撃的です。
以下、日経新聞のサイトの紹介記事。

愛の流刑地」のあらすじ
 村尾菊治は55歳。かつて恋愛小説の旗手として鳴らしたが、今は新作も書けず、ゴーストライターや雑誌記事のアンカーの仕事などをして暮らしている。妻とはずいぶん前に別居し、今は1人、東京・千駄ケ谷の小さなマンションに住んでいる。
 そんな菊治がある日、知人の紹介で、菊治の小説のファンという人妻の入江冬香と出会う。36、7歳。ほっそりした体つきに、控えめな物腰。すき透るようなその白い手に、菊治は以前見たなまめかしい風の盆の踊りを思い出し、強く心を惹かれる。携帯メールのやりとりでなんとか冬香を呼び出し、京都駅のホテルで再会、部屋に誘い、深く接吻する。
 2度目の密会は朝。ゆっくり時間が取れるよう、冬香が夫と子供から解放される午前中を選んだ。自然と体を求める菊治に、冬香はためらいがちにこたえるが、やがて菊治の愛撫に狂おしく反応していく……。

作者の言葉
 いま、純愛ブームだという。肉体関係がない、精神的なつながりだけの愛が純粋だと思いこむ。だがそれは単に未熟な幼稚愛にすぎない。精神と肉体と両方がつながり密着し、心身ともに狂おしく燃えてこそ、愛は純化され、至上のものとなる。
 今度の小説は、その純愛のきわみのエクスタシーがテーマである。その頂点に昇りつめて感じた人と、いまだ知らぬ人との戦いである。最高の愉悦を感じるか否かは、知性や論理の問題ではなく、感性の問題である。
 はたして、この戦いはいずれが勝つのか、そして読者はいずれに軍配をあげるのか、ともに考えていただければ幸いである。

余談ですが、知人の勤務先の上司は「あいのりゅうけいち」と連呼して周囲の人たちを困惑させていたらしいです。