『メールマガジンファウスト』第16号を読んだ。

凸版印刷の紺野慎一氏インタビューが掲載されている。
以下はそれを読んで、というわけではなく以前から思っていたことなんですが……。
ファウスト」そのものの成り立ちがすぐに結果を出さなくてはならないタイプの企画だったらしいから仕方がないのだろうけど、状況が許すのであれば、今のような形でDTPを「売り」のひとつとして前面に出すのでなく、あくまで裏方に徹して1〜2号は様子を見たほうが良かったんじゃないかなぁと思う。もちろん、雑誌としてデザインやフォントが重要で、そこにこだわるのは決して悪くないと思うんだけど、デザインの善し悪しを意識して見る視線と、小説をはじめとする文章を「文字」を意識せずに読む視線というのは、どうしても違ってきてしまうわけで、仮にDTPという「売り」が前面に出されていない状況で「ファウスト」を読んだ場合、私自身も以前に書いたように、現状ほど「読みづらい」という感想を抱いたかどうか。もはや自分にも判断がつかない。
いや、もしかしたら、読者はすでに気がつかないうちにどこかで試されていたのかもしれない。みんな「読みづらい」っていうけど、前に黙って同じことをやったときには何も言わなかったじゃん、というような。妄想ですが。