松浦寿輝『あやめ 鰈 ひかがみ』

あやめ 鰈 ひかがみ
いろいろと寄り道をしていて思っていたより時間がかかったけれど、ようやく読了。
3篇とも、主人公である駄目男が現実と非現実の曖昧な境界線上を彷徨する物語、と要約することができるかもしれない。中でも、主人公の駄目男ぶりが際立つ「鰈」がもっとも好み。
「鰈」については、「群像」に掲載されたものを読んだときに書いたあらすじと感想があるので、そちらを再掲する。

 主人公である60歳近い男は、早朝、市場で買い求めた鰈を入れたアイスボックスを提げ、電車に乗っている。車掌に起こされ、あわてて電車を降り、地下鉄に乗り換える。鰈を買ったのは今朝のはずだが、アイスボックスからは腐ったような匂いがしている。思い返してみると、どうもそれは今朝ではなく、昨朝のことだったようだ。そもそも鰈を買いに行ったのは、二十年以上も前に住んでいたアパートの住人であった老人から電話があったからで、市場からそのままアパートに向かったものの、そこには誰もいなかったのだ。地下鉄の中の男の前に、記憶の断片とも妄想ともつかないものたちが次々とあらわれては消えていく。
 濃密な描写。基本的には主人公の視点により添いつつも、絶妙に距離がコントロールされている三人称叙述。主人公の駄目っぷりと、その駄目っぷりを容赦なく暴いていく幻たち。冒頭から結末まで、ざわざわとした暗い感覚が途切れることなく持続する。おもしろかった。

元のテキストはこちら→http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~sorakei/diary/diary_071.html#20021208
「鰈」と「ひかがみ」を読んだ時点で明白だったはずなんだけど、「あやめ」も含めた3篇は、「あとがき」にも記されているようにゆるやかに繋がっている。通読すると、新しい発見があってなかなかおもしろい。特に、下村老人の存在は、安直な読み方ではあるんだろうけど、ああ、なるほどなぁ、と思った。