稲生平太郎『アムネジア』その2
- 作者: 稲生平太郎
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/01
- メディア: 単行本
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読んだばかりだけど再読した。初読のときと同様、とてもおもしろかった。
それにしても、自分が「書いてあること」すら、いかにちゃんと読めていないかということを今さらながら痛感した。あと、すでに結構忘れている部分があったりして驚いた。
前回、
第III部第2節までは「傑作!」と思って読んでいた。でも、それ以降、唐突に視点が切り替わってから(以下略)
と書いたんだけど、「視点が切り替わって」というのは結構微妙な表現だよなぁ。
(以下、内容に触れます)
というのも、実際には第III部第3節以降は作中作(実際には作中作中作)とも読めるような作りになっているからで、白状すると、上記の一文はそのことを失念して書いてしまった。ただ、第3節は冒頭5行だけがフォントが変わっているのに(この部分が第2節で出てきた「時計屋の店主が送ってきた小説」であることは間違いない)、それ以降は通常の本文のフォントに戻っており、前述の「小説」と内容が重なっていることは間違いないにしろ、必ずしも作中作であるとは断言できない(から、「視点の変更」と表現しても間違いではない……よね?)。
つまり、
- 実際にあった過去
- 「過去」をモデルにした小説
の2つが小説内の世界に存在するのは確かなんだけど、第III部第3節以降がそのどちらであるのかは明確に判断できない。だから、そこに登場する徳本政之と、本編(?)の徳部弘之が同一人物なのかどうかもやはり判断ができない。作中作であれば「徳本政之」という名前は仮名であると解釈して、そのまま徳部弘之の過去として読むことができるけど、作中作でなく過去がそのまま語られている部分だと解釈すると、やはり二人は別人ということになる。
【2/21追記】二度も読んだのに、この作品全体が「附記」で記されているとおりの「ノート」の再現であるということを失念していました。まあ、第III部第3節以降が「時計屋の店主が送ってきた小説」であるのか、それとも何者かによる「手書き」であるのか判断ができない、というのは間違っていないんだけど、上記の書き方だと、作品に厳密に即していないですね……。