意図の説明(その1)

さて、うまく書けるかどうか心許ないですが、上記の件にかんして説明を試みてみます。
まず、私が北村薫作品におけるレイプの扱い方にかんして書くのはこれが初めてではありません。親サイトであるheliotropism開設からまもなく、今から3年半以上も前になりますから、もちろん、私以外にはそんなことを知っているはずもないのですが、いささか説得力に欠ける批判的な文章を書いています。
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~sorakei/diary/diary_015.html#000103
この文章では、松浦理英子の書いた「嘲笑せよ、強姦者は女を侮辱できない」という論文の論旨をそのまま援用して、フィクションに対する批判を行うといういささか無茶なことをしています。松浦理英子の論文の趣旨は、以下の田村光啓「レイプ神話と『性』」で詳しく論じられています(部分的に引用することによって論旨を誤解されるのを避けるため、ここでは抜粋は行いません)。
http://www.kinokopress.com/civil/0103.htm
私自身が書いた文章の焦点は、「レイプの被害にあった女性が(それによって)人生を狂わされてしまう」というプロットの是非にあります。私はそれに否定的な立場です(これは現在も基本的に変わりません。また、レイプに限らずとも、物語での「トラウマ」に依存した人物造形には総じて否定的です)。
と、ここまでが背景説明になります。