落としもの

定期券は問題なく自動改札機を通った。よかった。無事だった。
角が少しだけ折れているし、表面の黒く印字された文字や背景の薄紫色の地紋はところどころかすれているし、裏の磁気面にも細かい傷が入っているから、ダメかもしれないと思っていたのだ。駅員に何と説明しよう、まあ、そのまま説明するしかないんだけど、などと駅に向かって歩きながら考えていた。
車が途切れるのを待って近づいてみると、やはり自分の定期券入れだった。すっかり水浸しになっており、走る車に何度も轢かれたに違いないが、定期入れそのものは破れたり、折れたり、あるいはなかに入れていた定期券や時刻表が飛び出ていたりはしなかった。
雨に濡れた車道に黄色くて四角いものが落ちているのが遠目にも見えていた。そこは会社の前で、今から一時間くらい前に外出したとき、雨のなか傘をさして、道路を走って横断したのだ。横断の行きか帰りかどちらのことかはわからないが、そのときに上着のポケットから落としたに違いない。
駅から会社に向かって歩きながら、歩道に定期入れが落ちていないか注意深く見ながら歩いてきた。見つからないまま、会社に着いてしまいそうだった。とはいえ、ただ歩いているだけでポケットから定期入れを落としたというのも考えづらい。駅から出て、最初に戻って確認した駅前の書店では何も買わず上着のポケットからものを出し入れしていないので、あえて店員にたずねるまでもないと判断した。地下鉄の階段をのぼりながら、会社から駅まで歩いたルートを思い出し、どこで落とした可能性が高いのか考えてみた。
勘違いしていたのだが、来月の頭で定期券の期限が切れると思っていた。だから、もし定期券が見つからなかったとしても、ゴールデンウィークで連休もあるし、数日だけ切符を買って通勤すれば済むと思い、それほどあせりはなかった。実際には、再来月の頭が期限だった。定期券が見つかったからよかったものの、そうでなければ、ひと月以上の通勤代を自腹で払わなくてはならないところだった。
せっかくいつもより早めに仕事が終わり、会社を出て駅前の書店を軽くチェックして、さあ、帰ろうと思ったのに、地下鉄の駅の改札で上着から定期券を取り出そうとポケットに手を入れたところで、はじめて定期入れをなくしたことに気づいた。