望月諒子『神の手』

神の手 (集英社文庫)
どうも読み方を間違った気がする。
ごく普通に「失踪した作家をめぐるミステリ」として読めばよかったのに、どういう思い込みからか、「小説についての小説」あるいは「〈書くこと〉についての小説」として読み進んでしまったのだ(いや、もちろん、「失踪した作家をめぐるミステリ」かつ「小説についての小説」という作品は存在するのだけれど、この作品はそうではなかった)。だから、作中に出てくる「小説観」にいちいち引っかかった。これは、「小説」や「作家」が物語の構成要素である小説ではあるけれど、「小説についての小説」ではない。この作品で必要とされているのは「物語を表現する手法」としての「小説」であって、逆にいえば「物語を表現する手法」でさえあれば「小説」ではなくとも同じ骨格を持つ物語を語ることはできる(もちろん、細部は大幅に変更する必要はあるけれど)。

あの透明感のある文章がそこには連ねられていた。天性のもつ魔性。無垢な心に宿る残忍さ。湧き水に差し入れた女の素足を見るように、その蠱惑は心のどこかに忍び込み、人を密やかに放心させる。性的なシーンなどないのに、女の肌の匂いが立っていた。(P.281)

こういった言葉で「小説」を表現するのは、そもそもあまり好みではないのだけれど、もしはじめから「失踪した作家をめぐるミステリ」として読んでいれば、あくまで作中にただよう漠然とした「文学的イメージ」を補強する細部にすぎないことは明らかで、それほど苛立ちを覚える必要もなかったのだ。
だから、この文章は完全に言いがかりにすぎない。自分が予想した作品とは違うじゃないか! と文句を言っても、それは勝手に勘違いしたほうが悪い。
再読すればまた違った感想を抱くかもしれないけれど、さすがにその気力もないので、近いうちにこの作者の最新刊である『殺人者』を読んでみる予定。