桜庭一樹『荒野の恋』第一部

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

荒野の恋〈第1部〉catch the tail (ファミ通文庫)

単純な読後の感想はといえば、おもしろかった。
以下は作品に関連したメモ。ネタばれあり。
単なるメモなので、現時点では結論はない。作品に対する肯定でも否定でもない。

  • 前提
    • 現代の「恋愛」は、すべて「メディア」や「物語」によって刷り込まれた「制度」あるいは「幻想」である。それに先立つ「純粋な恋愛」というものは存在しない。
    • 「制度的な恋愛」に対する否定の身振りも、結局は「制度」を逸脱することにはならない。それも「制度」のうちである。
    • 現代日本では、「制度」から逃れることは不可能である。これは単なる前提で、是非の問題ではない。

あの人たちって、ちょうど自分の恋人に『私、ちいちゃんが好き』って素直に言えない女の子と同じなの。どうしてかって言うと、『私、ちいちゃんが好き』って、くらもちふさこのマンガのセリフにあるって皆知ってるから。だから、『私、ちいちゃんが好き、ってくらもちふさこのマンガにあったけど、それと同じように好き』って言っちゃうの。
高橋源一郎「A子ちゃんの小説論」/『ジェイムス・ジョイスを読んだ猫』ISBN:406184735X

  • 作品について
    • 荒野の恋』はファンタジーである。
    • なぜなら、主人公の荒野は、恋愛小説家の娘であるにもかかわらず、上記の「制度」の影響をまったく受けていない存在として描かれている。そんな人間は、現実の現代日本には存在しない。
    • 荒野は、私たちがすでに知っている「制度的な恋愛」によく似た「何か」を改めて「発見」する。
    • 荒野の恋』には、「どこかで見たような」展開が多く見られる。「登校時のトラブルを介した出会い」「強制された共同作業」「親同士の再婚による異性との同居」「同性の友人からの思いがけない告白」「海外留学による別離」などなど。
    • 「前提」の構図は「フィクション(制度)」から「現実」への影響だが、作中に出てくる主人公の父親の書いたとされる作品(フィクション)は、逆に「現実」の反映である。

とりあえず、ここまで。